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日本の年号が「令和」になった理由は?

2023.06.15

日本には、年の言い方が2つあります。
今年は2020年で、令和2年です。

「令和」は
年代を表す名前で、これを「年号」といいます。

年号を決める習慣は中国で始まりましたが、今は世界中で、日本だけが年号を使っています。

「令和2年」のように、年号を使って年を表記
したものを、「和暦 」といいます。「2020年」のような世界共通 の年表記は、「西暦」といいます。
日本ではどちらも使いますが、大事な書類の日付は、和暦で書きます。

「年号」のことを「元号」ともいいます。
どちらも同じ意味ですので、この記事では、「年号」を使います。

年号の歴史

日本で最初の年号は「大化」で、645年に制定されました。
中国の有名な本の中から、「大」と「化」の二文字が選ばれたそうです。

その後55年の間、年号がある年やない年がありました。
そして、701年に「大宝」が年号となったときから、必ず年号を制定するようになりました。
日本はそれ以来ずっと、年号を使っています。

年号が「大宝」になった701年には、「大宝律令」も制定されました。
「大宝律令」は、日本の古い法律として有名です。

年号の決め方

新しい年号に変えることを「改元」といいます。
例えば「大宝」という年号は、その時の天皇に「金」という「大きな宝」が贈られたことを記念して改元されました。

昔は、火事や流行病などの重大な事件が起きたときに改元されることが多かったです。
改元するときは、「文章博士」という中国の歴史や本に詳しい専門家が、中国の本から年号に使う漢字を2文字選んでいました。

なお、「大宝」は中国の本から選んだ漢字ではありません。
中国の本から選ばれていないのは、珍しいです。

一世一元

現在、年号は「一世一元」だと決まっています。
一世一元とは、

  • 一世:一人の天皇が即位してから崩御する(亡くなる)まで
  • 一元:一つの年号を使い続ける

つまり一人の天皇が一つの年号を使い、新天皇が即位するときに年号を新しくする制度のことです。
この制度は1868年に制定され、「明治」に改元されました。
その後「大正」、「昭和」、「平成」、そして「令和」と改元されてきました。

「令和」が新しいと言われる理由

「令和」への改元は、二つの理由で新しいと言われています。

一つは、天皇の崩御による改元ではないという点です。
平成天皇は生前退位、つまり生きているうちに引退されました。
そして、新天皇が即位され、年号が「令和」に改元されました。

もう一つは、年号の決め方です。
これまでは、中国の本から年号に使う文字を選んでいました。
しかし、「令和」は「万葉集」という古い日本の本の中から選ばれました。

万葉集とは

日本で一番古い和歌集で、780年ごろに完成しました。
大伴家持という人が編集しました。
全部で20巻あり、4500くらいの和歌が入っています。
すべて漢字で書かれています。
しかし、それらの漢字を、今のわたしたちが知っている読み方で読むことはできません。
万葉集の和歌は、それぞれの漢字の意味を考えずに読みます。
ひらがなを読むときのように、一文字を一音で読みます。

このように特別な読まれ方をする万葉集の文字のことを、「万葉仮名」といいます。
今の日本では、万葉仮名は使いません。
中国から来た漢字を使って万葉仮名が作られ、その後で漢字からひらがな・カタカナが作られ、万葉仮名は使われなくなりました。

日本の有名な古い本は、万葉集だけではありません。

「古事記」と「日本書紀」は、二つを合わせて「記紀」とよばれるくらい、有名な日本史の本です。


では、なぜ万葉集が新年号の出典として選ばれたのでしょうか?

「記紀」は、当時

の中国で使われていた文字や文法で書かれています。
万葉集も漢字で書かれていますが、「万葉仮名」という和風な書き方です。
日本の年号を決めるために、より日本らしい書き方の本を出典として選んだようです。

万葉集の、どこに「令和」と書いてある?

万葉集に「令和」という言葉はありません。

では、なぜ万葉集が「令和」の出典といわれるのでしょうか?

万葉集の5番目の巻に、32の梅花の歌があります。
その前書きに、

「時に初春の令月にして気淑く風和ぎ梅は…」

とあります。
その中の「令月」から「令」、「風和」から「和」を選んで組み合わせて、「令和」ができました。

梅花の歌は、730年2月8日(天平2年正月13日)にできました。
この日、太宰府(今の福岡県)の長官だった大伴旅人という人の家では、新年を祝う宴会がありました。
そして、そこに集まった32人の人たちが、きれいに咲いた梅の花を見ながら、暖かくて気持ちがいい春についての歌を1つずつ作りました。
それら32の歌の前書きが「令和」の出典です。

「令和」が年号になった理由

年号は政府が決めます。

政府の人たちは、次の6つのことを考えながら年号を決めます。

  • 日本人の理想になる、いい意味をもっている
  • 漢字2文字
  • 読みやすい
  • 書きやすい
  • 年号として使われたことがない
  • 世の中で使われていない
  • 「令」は「いいこと、めでたいこと」、「和」は「なごやかなこと、仲良くする」という、とてもいい意味があります。
    そして、読むのも書くのも簡単で、年号として使われたこともありませんでした。
    また、世の中で使われている単語でもありません。
    ですから、年号は「令和」に決まりました。

    首相しゅしょうは、記者会見きしゃかいけんで、新しい年号の意味について、

    「令和には、人々が美うつくしく心こころを寄よせ合う中で、文化ぶんかが生うまれ育そだつ、という意味が込こめられています。」

    と話はなしました。

    また外務省がいむしょうは、「令和」は英語えいごで、

    「BeautifulHarmony(美うつくしい調和ちょうわ)」

    であると発表はっぴょうしました。


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