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【ぶんか】世界遺産の熊野古道を歩いてみよう

2023.06.15

世界遺産の熊野古道


熊野古道とは「熊野三山」という山へ行く時に通る道です。熊野三山へ行くことを「熊野詣」と呼びます。
日本では昔山に神様がいると信じられていたので山に行くことは神聖なことでした。

「熊野詣」がどうして始まったかや、「熊野古道」についての詳しい説明は後半で行います。

まずは世界遺産である「熊野古道」を歩くおすすめのコースを紹介します。世界遺産とは世界的に価値があると認められている文化的な場所のことです。

「熊野三山」の中心である「熊野本宮大社」への道

「発心門王子」~「熊野本宮大社」


熊野本宮大社の神域の入口である「発心門王子」からの出発です。神域とは神様のいる場所のことです。「発心」とは信仰の心を発するという意味です。

約1000年前の日本の首都は現在の京都市にある平安京でした。この場所から行う「熊野詣」は、250㎞以上の距離があります。徒歩でほぼ2週間かかりました。

発心門王子からのコースは約7kmの距離です。しかし、熊野詣を行う人々は「遠くて苦しい旅」の最後に熊野本宮大社を見て感動したそうです。
ぜひ昔の人たちの苦労を想像して歩いてみましょう。


このコースは少し「上り下り」があります。しかし全体としては少しずつ下っていきます。そのため森の中を歩いたり古い山里の雰囲気を味わったりすることができる道です。

熊野本宮大社は紀元前33年に第10代崇神天皇が社殿を作った古い神社です。
社殿とは神社の、神体が置いてある建物です。神体とはその神社で一番尊敬される神様が宿る対象のことです。熊野川の河原にありました。

本殿は明治時代の大きな洪水で流されました。本殿とはその神社で神様が置かれている場所です。
現在の社殿は山にある上四社だけになりました。そして、河原には大鳥居が建てられています。大鳥居とは、神社で神域と人間が住むエリアを分けるものです。

発心門王子への行き方
JR西日本
阪和線天王寺駅~紀勢本線紀伊田辺駅2時間弱
龍神バス紀伊田辺駅~発心門王子2時間20分

バスは終点の発心門王子到着の約15分前に熊野本宮大社前のバス停にも止まります。

しかし熊野古道歩きを楽しむことが一番のおすすめですから、ぜひバスの終点から歩いて戻ってきてください。

「大門坂」~「熊野那智大社」で日本一の「那智の滝」!

杉の木がたくさんあり苔が生えた石の段を登っていく「熊野古道」の雰囲気を楽しむことができる1.1㎞程度のコースです。


山を登り終えて熊野大社に参拝した後、隣にある西国1番札所「那智山青岸渡寺」に入ります。
参拝とはお寺や神社に行ってお祈りをすることです。お寺を回って旅をすることを巡礼と呼びます。その巡礼をする時の順番を示すものを札所と呼びます。

お寺の展望所から北を見ると「三重塔」の向こうに日本一の「那智の滝」を見ることができます。展望所とは、景色がきれいに見られる場所のことです。

このコースでは、「熊野詣」と「観音巡礼」の両方を楽しむことができます。この「大門坂」、「熊野那智大社」、「那智山青岸渡寺」、「那智の滝」もすべて世界遺産です。

「大門坂」への行き方
JR西日本
紀勢本線天王寺駅~紀伊勝浦駅3時間35分
熊野御坊南海バス紀伊勝浦駅~大門坂20分

熊野古道とは何でしょうか?

熊野古道は、1000年以上前の平安時代に始まった「熊野詣」で歩いた道です。

「熊野詣」とは


現在の京都にある平安京から「熊野三山」に行くことを「熊野詣」と言います。

「熊野詣」は平安時代の「上皇」や「法皇」が「熊野三山」にお参りをする「熊野御幸」が起源だと言われています。

日本の王様は天皇です。上皇とは引退してその権利を子供などに譲った後の天皇のことです。
法皇とは上皇が仏教で出家したあとに呼ばれる呼び名です。出家とは仏教において仏道の生活にはいることです。

天皇が外出することを「行幸」と呼びます。「上皇」や「法皇」が外出することを「御幸」と呼びます。

天皇は公務があるので京都を出ることが出来ません。公務とは天皇の仕事のことです。そのため、天皇による熊野行幸はありませんでした。

熊野御幸


908年に宇多法皇が、992年に花山法皇がそれぞれ1度だけ「熊野御幸」を行っています。

花山法皇はこの時に「熊野権現」からお告げと呼ばれるメッセージを受けました。熊野権現とは熊野三山という山にいる神様のことです。
そのお告げで、そのころいったん行われていなかった「西国巡礼」を再びはじめました。西国巡礼とは日本で昔西国と呼ばれていた関西の地区で行われていた巡礼のことです。

熊野詣が熱狂的な高まりを見せるきっかけとなったのは、花山法皇の約100年後の1090年に白河上皇が熊野に行って、合計9回も熊野御幸を行ったそうです。

鎌倉時代の1281年の亀山上皇の熊野御幸が最後です。しかし、370年ほどの間に100回も行われました。

特に後白河法皇は33回も熊野御幸を行いました。

この熊野御幸がきっかけで熊野詣を貴族が行うようになりました。そして、その後一般庶民にまで広がりました。

人々がその道を行く姿がまるで蟻がぞろぞろと歩くように見えたので「蟻の熊野詣」と言われました。


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