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2023.06.15
琉球びんがた
沖縄県をイメージすると南の国らしい色のきれいな着物を思い浮かべるでしょう。
この衣装が「琉球びんがた」です。
琉球とは沖縄の昔の名前です。
京都の友禅と同じくらい世界で知られています。
漢字で「紅型」と書きます。
しかし沖縄では「びんがた」とひらがなで書きます。
染めるお仕事の組合も「琉球びんがた組合」といいます。
びんがたということばは1924年に鎌倉芳太郎という人が考えました。
染め物のお仕事と沖縄の文化の研究をしていました。
琉球が生んだ染め物「びんがた」
琉球王国は近くの国と戦争をしないで貿易をして栄えていました。
14~15世紀ころ貿易でインドの更紗やジャワ更紗や中国の印花布という
染め方を取り入れました。
そして「びんがた」ができました。
「琉球びんがた」のすばらしいところ
南の国らしい華やかなきれいな色です。
大胆な色や柄があります。
はじめは琉球の王様やえらい人たちの礼装でした。
現在は琉球舞踊の衣装として有名です。
3種類のびんがた
型紙を使って染めるやり方には「びんがた」と「いぇーがた」の2つがあります。
もう一つは丸いつつでもようを描く「つつがき」です。
びんがた
「びん」は「色」のことです。
赤黄青緑紫を使います。
「がた」はもようのことです。
色が大胆できれいなので服に使われます。
いぇーがた
いぇーがたは藍色(こい青色)で染めます。
こい色とうすい色と生地の白色で大きなもようを表します。
現在は夏の服として人気です。
びんがたが王様やえらい人の服として使われた時代には
いぇーがたはふつうの人の服でした。
つつ描き
ぬいびちというわざを使います。
丸いつつとのりを使ってもようを描きます。
描くときにのりをひくのでのりびきといいます。
沖縄の言いかたではぬいびちになります。
ふろしきやまくとして使います。
ふろしきはけっこんなどおめでたい時にまくとして使います。
大きなまくはお祭りで使います。
もようは吉祥文様が描かれます。
琉球びんがたが衰退しそしてまた復興する
衰退
琉球の王様が琉球びんがたを守っていました。
1609年に琉球はさつま藩のものになります。
そのあと琉球びんがたは日本のやり方に変わりながら
時代の変化に合わせて発展しました。
1879年に「琉球しょぶん」がありました。
琉球が日本のものになりました。
そして琉球という名前がなくなり沖縄になりました。
琉球の王様に守られていた琉球びんがたは衰退してしまいました。
そして沖縄で戦争がありました。
琉球びんがたのたくさんの型紙や道具が壊れてなくなりました。
戦争の後に復興する
「びんがた」ということばを考えた鎌倉芳太郎さん。
この人が琉球びんがたの型紙や道具を日本に持って帰りました。
「ちねん」と「しろま」という名前の人たちがこの型紙をもらい
びんがたをまた作り復興するために努力しました。
いろいろなものがとても足りないので大変でした。
型紙がない時は地図を使いました。
のりのヘラがない時はレコードを使いました。
つつがない時は鉄砲の弾を使いました。
鉄砲の弾を使っている時に爆発したこともあります。
とても苦労しました。
伝統工芸品になる
いろいろな人たちが努力して復興したので
1984年に「琉球びんがた」は伝統工芸品に指定されました。