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2023.06.15
石山寺は東大寺の大仏をつくるために建てられた!
石山寺の歴史
仏教のお寺を回って旅をすることを巡礼と呼びます。その巡礼をする時の順番を示すものを札所と呼びます。
この石山寺は巡礼をする際の11番目の札所です。
・昔の日本で一番偉い人は天皇でした。745年に「聖武天皇」が大仏を建てはじめましたが、銅でできた大仏の表面を覆う金が不足していました。
・天皇は、東大寺の僧である「良弁」という人に吉野という場所にある「金峯山」で金が見つかることを祈るように頼みました。
・良弁は金峯山でお祈りをしました。しかし良弁は夢の中で金峯山の「蔵王権現」から近江国(現在の滋賀県)でお祈りをするようにとお告げを受けました。お告げとは神からの示しのことです。
・747年に良弁は、天皇から預かった「聖徳太子」の念じた観音像を石山の地の大きな石の上に置きました。そして、金が出るようにと祈りました。
・お祈りをしたおかげで「陸奥国(現在の宮城県)」で金が見つかりました。そのため観音像をまた動かそうとしました。しかし観音像はどうしても石から離れませんでした。
・そこで石の上から離れない観音像を覆うようにしてお堂を建てました。お堂とは寺の中にある建物の中で、門、塔、書院など以外の建物のことです
大きな石の上に建てられたため「石山寺」という名前が付けられました。
この石は国の天然記念物に指定されている「石山寺珪灰石」と呼ばれている貴重な石です。
琵琶湖から流れ出る唯一の川、「瀬田川」沿いに建っている!
日本最大の湖である琵琶湖は京阪神の水がめと言われています。
瀬田川は京都を通って淀川となり大阪湾に流れています。
石山寺は琵琶湖南端部の「瀬田の唐橋」から1.8㎞の地点にあります。
石山寺にある国宝・重要文化財
国宝の建物
・本堂「石山寺珪灰石」の上に建てられています。
・多宝塔1194年に「源頼朝」が寄進しました。
多宝塔とは一番下の層が四角の形、二つ目の層が円の形で、相輪がある四角の形の屋根がある塔のことです。
仏教の塔の一番上の部分の装飾物のことです。
石山寺にある多宝塔は建築年代が分かっている日本で一番古い多宝塔です。
重要文化財の建物
・御影堂良弁僧正、弘法大師の像が置かれています。
・鐘楼源頼朝の寄進と言われています。
その他経蔵、蓮如堂などがあります。
仏像、絵画、史書、経典等の文化財
・釋摩訶衍論その他の歴史書、経典の国宝10点
・「如意輪観音、半跏像」、「石山寺縁起絵巻」をはじめとする仏像や絵画などの文化財が多数あります。
石山寺は「文学の寺」特に女流文学で有名!!
京都市内から石山寺までは約20㎞の距離です。
昔日本では和歌と呼ばれるポエムが歌われていました。
そして百人の歌人の和歌を一つずつ選んで集めた歌集が「百人一首」です。
石山寺へはその中でも歌われている「逢坂の関」を越えていきます。
「逢坂の関」は山城国(現在の京都府)と近江国(現在の京都府)の国境に設けられた関所です。
関所とは昔、重要な道や国境などにあり旅人の出入りや荷物を調べた役所のことです。
京都から比較的近いこともあって1000年くらい前の平安時代には貴族による「石山詣」が流行っていました。
その時に女流文学者もたくさん訪れました。女性文学者とは女性の文学者のことです。
世界で最も古い長編小説である「源氏物語」とその作者の「紫式部」
この寺によると1004年に紫式部が石山寺に七日間泊まって源氏物語を書き始めたそうです。
石山寺の公式ホームページには、本堂の一角にある「源氏の間」がこの物語を執筆した部屋であると書いてあります。
本堂とはそのお寺で一番尊敬される仏像が置かれている場所です。
境内にある「豊浄殿」には石山寺の宝物とともに紫式部や源氏物語をテーマにした美術品などが展示されています。
境内にはこの他に「紫式部像」、「紫式部供養塔」もあります。
紫式部以外の有名な女流文学者
「枕草子」という有名な作品の作者である「清少納言」の他、和泉式部などの有名な文学者も訪れています。
清少納言は「石山詣」のときに読んだかどうかは分かりませんが、通り道の「逢坂の関」を詠んだ歌が百人一首に入っています。
石山寺の門前グルメ
・滋賀県の郷土料理鮒ずし
・瀬田シジミを使ったしじみ釜めし
他にも琵琶湖名物のうなぎの他にも、スウィーツも色々あります。
石山寺の公式ホームページに門前店舗が紹介されています。
石山寺への行き方
・京都から
JR琵琶湖線京都駅~石山駅13分
徒歩9分
京阪バス松原バス停~石山寺山門前約7分
・京都までは
東京から新幹線で2時間15分
名古屋から新幹線で約36分
大阪からJR京都線約30分
博多から新幹線で2時間40分